明治22年(1889)年7月5日(金) 毛利新田第一次澪留

 ・「神野新田紀事」には工事の時間帯が書かれているだけで、潮や干満に関しては記載は無い

 ・澪留は大落潮(大潮と思われる)の干潮時と「神野金之助重行」等に書かれているが、調べ

  ると予定された工事は全て小潮の上げ潮時である(リカバリーは小潮に近い時期の上げ潮時)

 ・大潮では潮の流れが速く事故につながる、干潮時は石などを積んだ船が海底に当たり動けない


 ・書かれているのは「第 5章 築堤工事の困難

 ・日本海の低気圧が東に進み、朝から雨で夜に上がるが、日中は特に風が強い

 ・早朝から3ヶ所の澪留をして完了、その後大波で2ヶ所の澪留が破壊される、天候の悪化と風が

  強くなり高潮と満潮が重なり、高波に堤防が耐えられなかったと推定


潮汐データ 新暦1889/明治22 07/05(金曜)  →     旧暦1889/明治22 06/08(小潮の中日)

 

毛利新田第一次澪留工事(予定された工事)

 

 ・旧暦の6/8で小潮 

 

 ・工事の時間帯は神野新田紀事には早朝より「作業員を

  配置し」と書かれているだけで、詳細は不明

 

 ・4時から8時頃らかけての工事と推定する

 

 ・澪留は満潮にかけて行われたよう

   

 ・3ヶ所同時に澪留し、いったん成功後、その後の波で

  2ヶ所が破損したとある

   (22時頃にかけての満潮で破損か

 


豊橋の日の出日の入り (4:43 — 19:07)


午前6時


午後2時


午後9時