▶ 神野新田紀事内の表彰状のページから見えたもの
・白黒コピーで文字が見えないところが多いので画像調整して一番見易い状態にした
・判別できた文字が見えて読める文字を茶色でなぞった
・審査員は澤野淳だけ読め、神野新田関係者は神野金之助や服部長七人造石も読める
▶ 別の書籍に書かれていた表彰状の内容
・後日に一生懸命解析(下記に掲載)したようだが、記載に漏れがある
・審査員は5人書かれているが、後日の資料では先頭から3人しかなく、4人目の「澤野淳」は上記からも
読めるのに、なぜ漏れたのか?
・「澤野淳」の左は「酒匂」から調べると「常明」と考えられるし漢字もそれらしく見える
・下記の朱記部分が表彰状画像から読み取れた部分
愛知県渥美郡牟呂村
神野新田開墾事業成績 神野金之助
嚮ニ毛利祥久起業ノ後ヲ承ケ服部長七ノ人造石工法
ヲ採用シ勇敢経営克ク自然ヲ制シ排水灌漑拓地移民
着々機宜ニ適シ遂ニ此偉業ヲ完成セリ其他牟呂用水ヲ精
穀運材発電等ノ用ニ供シ更ニ之ヲ分水シテ三村数百町歩ノ
灌漑ニ便スルカ如キ規画周到洵ニ斯業ノ好模範タリ
審査官 従 七 位 有働 良夫 ㊞
名 審査官 従 七 位 上野英三郎 ㊞
誉 審査官 従 六 位 月田藤三郎 ㊞
銀 審査官 従五位勲六等農学博士 澤 野 淳 ㊞
杯 審査官 従五位勲五等農学博士 酒匂 常明 ㊞
審査部長 従三位勲三等 田中 芳男 ㊞
審査部長 正三位勲一等男爵 大島 圭介 ㊞
審査ノ成績ニ依リ前期ノ賞牌ヲ授与ス
明治三十六年七月一日
第五回内国勧業博覧会総裁大勲位功四級載仁親王 ㊞