明治21年(1888) 4月 15日(日) 毛利新田築堤起工式
明治22年(1889) 7月 5日(金) 毛利新田第一次澪留
明治22年(1889) 7月 7日(日) 毛利新田第二次澪留
明治22年(1889) 9月 11日(水) 大津波(9/14節から修正)
明治22年(1889)11月 14日(木) 毛利新田第三次澪留
明治22年(1889)11月 26日(火) 毛利新田澪留破損
明治22年(1889)12月 3日(火) 毛利新田第四次澪留
明治22年(1889)12月 10日(火) 毛利新田堤防写真撮影日
明治24年(1891)10月 28日(水) 濃尾震災時の天気
明治25年(1892) 9月 4日(日) 毛利新田最後の大破損
明治26年(1893) 4月 15日(土) 毛利新田の譲渡手続き
明治26年(1893) 4月 23日(日) 四代目富田重助結婚
明治26年(1893) 9月 16日(土) 神野新田第一次澪留
明治26年(1893) 9月 17日(日) 神野新田第二次澪留
明治28年(1895) 1月 7日(月) 牟呂八幡で3神社の仮鎮座式
明治28年(1895) 2月 10日(日) 3神社の鎮座式
明治28年(1895) 6月 14日(金) 牟呂が神野新田と決定
明治28年(1895) 6月 21日(金) 大崎が神野新田と決定
明治28年(1895) 6月 22日(土) 磯辺が神野新田と決定
明治29年(1896) 4月 15日(水) 新田成工式
明治29年(1896) 8月 31日(月) 圓龍寺移転許可
明治30年(1897) 5月 7日(金) 圓龍寺説教時移転後の遷仏法要
明治30年(1897)12月 16日(木) 本山より山号(神富山)を授与される
明治32年(1899) 7月 26日(水) 神野三郎婚姻
明治34年(1901)10月 16日(水) 圓龍寺地鎮事・起工式
明治35年(1902)10月 13日(月) 圓龍寺立柱式
明治36年(1903) 4月 15日(水) 圓龍寺上棟式
明治37年(1904) 4月 15日(金) 圓龍寺遷佛供養会
明治38年(1905) 3月 9日(木) 神野・冨田殖産会社創立
明治42年(1909) 8月 16日(月) 初代金之助、渡米
明治44年(1911) 8月 4日(金) 神野新田冠水
明治45年(1912) 4月 15日(月) 親鸞聖人650回御遠忌法要
明治45年(1912) 4月 20日(土) 現如上人、本堂前に松を植樹
大正11年(1922) 2月 20日(月) 金之助74歳で亡くなる
大正11年(1922) 2月 25日(土) 初代金之助葬儀に新田より代表者参列
大正12年(1923) 4月 1日(日) 神富殖産がイノ割1番地に長生病院を建設
大正12年(1923) 4月 30日(月) 神野新田開拓30周年記念祝賀会
大正15年(1926) 7月 18日(日) 「二人会」組織発会式
昭和 5年(1930) 5月 15日(木) 初代金之助翁頌徳碑建立除幕式挙行
昭和 7年(1932) 7月 16日(土) 富田重助が神野新田を明治銀行に譲渡の説明
昭和 8年(1933) 5月 15日(土) 四代富田重助亡くなる
昭和10年(1935) 5月 19日(日) 富田重助翁頌徳碑建立
昭和20年(1945) 6月 19日(土) 豊橋地方大空襲、新田内罹家屋12戸
昭和20年(1945) 8月 15日(水) 終戦
昭和21年(1946) 5月 8日(水) 神野新田が神野新田農事実行組合に譲渡
昭和27年(1952)10月 26日(日) 供出した梵鐘を再鋳
昭和28年(1953) 9月 25日(金) 13号台風で堤防欠壊し、三郷、二回浸水
昭和32年(1957) 4月 14日(日) 神野三郎頌徳碑除幕式
昭和36年(1961) 5月 3日(水) 豊橋別院で神野三郎葬儀(87歳)