・書かれているのは「第 5章 築堤工事の困難」
・神野新田紀事に「9月14日に未曾有の大津波が起り、三河国はもちろん、近隣諸国の新田もこと
ごとく堤防が破壊される」と記載あり(ネットでは大津波の情報は検索されない)
・神野新田開拓百年記念誌では、「9月11日に破壊され、数十人死亡」とある。
・当日の天気図コメントは低気圧(970hpa位)とあり、紀伊水道から名古屋の東北に通過しており
毛利新田は強烈な西風(ピークは19時頃)に襲われていたよう。
神野信手線開拓百年記念誌の記事より
明治22年(1889)の9月11日の大暴風雨で、2ヵ月前に澪留めを終えたばかりの毛利新田の堤防が破壊され、人夫数十名が行方不明となり、開墾事務所は洗い流された。年呂村大西の芳賀保治は当時の日記に、風水の模様を次のように記している。「午前1時より強東風、天候不穏、漸次風力を加え、午後に至り益々繁風となり、複盆の大雨を交え、午後7時海喊起り、吉田新田堤防悉く(ことごとく)破壊す、及び明治新田・青竹新田・福島(高久縞)新田等悉く破壊せらる。
字〆切堤及作神通り是亦前同断、自家(芳賀家)床上3尺浸湖潮となる」。暴風雨にくわえて、未曾有の大海嘯に見舞われ、新田の堤防は原形をとどめぬまでに破壊しつくされ、開墾事務所などの建物は、帳簿・什器などと一緒に悉く洗い流され、出張中の諸役員はわずかに身をもって逃れたが、人夫数十名は逃げおくれて行方不明となり、 惨状まことに目を覆わしめる有様であった」と、その惨状を伝えている。海嘯(かいしょう)は、満潮の際に遠浅の海岸、特に三角形状に開いた河口部に起る高い波で、南米のアマゾンは特に有名である。
潮汐データ 新暦1889/明治22 09/11(水曜) → 旧暦1889/明治22 08/17(大潮4日目)
未曽有の大津波
・津波の発生時間などは神野新田紀事に詳細な記述無し
・神野新田開拓百年記念誌9月11日発生が正しいよう
・月11日は低気圧による西風による大波浪と満潮が重
なった最悪の日。
・天気図には低気圧とあるが、970hpaであり、台風か
爆弾低気圧である。
・西風が19時頃から強くなるが、満潮と重なっている
ので、最悪のパターンです。
当時の状況(ほぼ全体図と拡大)
午前6時
午後2時
午後9時